第12回
かつて都市部の商職人の店舗(仕事場)兼住宅として、城下町、宿場町、港町、門前町に立ち並び、整然と美しい町並を形づくっていた町家。間口が狭く、奥へと長いため「鰻の寝床」とも呼ばれた。
金沢は町家が比較的多く残っている街だとはいえるものの、「整然と美しい町並」は、もはや望むべくもない(大野、東山界隈に僅かながら残るが)。しかし、ものは考えようで、その分「発見」の喜びがある。
尾張町一帯は、藩政期に御用商人が軒を連ねただけあって、今もその至るところに往時を偲ばせる余韻というか、要するに町家の面影、名残りを発見することができる。
町家には町家なりの特徴、ルールがあり、それらを一つひとつ、ゆっくりと時折立ち止まりながら視認していく作業はことのほか楽しい。
例えば「天窓」。隣家同士が密着しているため側壁に窓を設けられない町家にあって、一階中央部に明かりを取り込むための採光装置で、屋根の上に展望台のようにぽっこりと頭を出しているのが特徴。また「袖ウダツ」は慣用句「ウダツが上がらぬ」のウダツの小型版のような形状で、二階壁面の両側に取り付けられ、延焼防止や隣家との区切りに用いられた。あるいは「サガリ」。庇の下に付く横板で障子戸を雨風から守るものだが、障子戸がガラス戸に変わる過程で消えていった。ほかにも「キムスコ」と呼ばれる隙間六ミリの格子、板葺きの屋根板が突風でめくれないように設けられた「風返し」、熨斗瓦の上部を飾る瓦「土板」など、それらさまざまな意匠に心は躍る。
町家の消失、その流れは今後も止められないだろう。だったら今のうちに、脳裏にしっかりと刻みつけておけばいい。どんな時代の荒波をもってしても、我々から思い出を奪うことまではできない。