第11回
今回は「金」。マネーではなくゴールドについて。
金沢で「金」といえば「金箔」。金沢箔は漆工芸、仏壇仏具、九谷焼等はもちろん、鹿苑寺金閣や日光東照宮を美しい輝きで染めあげるなど多方面で用いられ、金箔の生産では全国シェアの98パーセント以上、銀箔・洋箔なら100パーセントを占めている。
また「金」といえば、金沢の地名の由来にもなった「芋掘り藤五郎譚」がある。こんな説話が生まれたのも、そして箔工芸が盛んなのも、あるいはかつて金沢には大きな金鉱があったからかもしれないと資料をあたってみたところ、金鉱の存在よりも面白そうな「埋蔵金」に関するエピソードを見つけた。
その怪しげな資料によれば金沢市には2つの埋蔵金伝説(※)があるようだ。そのうちの一つが「富樫政親の埋蔵金」。1488年、一向一揆により滅ぼされた高尾城主・富樫政親が、倉ヶ岳城へ逃れた際に大池に財宝を沈めたという説である(高尾山に埋めたという説もある)。旧暦6月9日、政親の命日に空が晴れ渡ると大池の底に政親の馬の鞍が見えるともいわれ、藩政期には財宝狙いで池に潜った者も少なくないという。そしてこの倉ヶ岳には金鉱を試掘した(1598年)との記録も残っている。ただし芋掘り藤五郎が住んでいた金沢市山科辺りとは少々距離があるし、金脈も乏しかったらしく数年で廃鉱になってしまった。
埋蔵金の話題があまり聞こえてこないのは、金沢人に節度があるからなのか、冒険心あるいはユーモアに欠けるからなのかはわからない。ただ、財宝や埋蔵金といったいかがわしい響きには、不況をやわらげる程度の笑いと夢ぐらいは詰まっていると思う。
※もう1つは「八つ塚の埋蔵金」。埋蔵時期は建武年間、埋蔵者は加賀の国司・藤原師基。現在の金沢市御所に財宝を埋めたとされる。