第10回
仏教の教えによると川は現世と来世を隔てる境であり、そのため川に架かる橋は両世を行き来する通り道だとされてきた。
幾つもの川、幾つもの用水が街のあちこちを流れる金沢には、有名無名の「通り道」が数多く存在する。なかには石川橋のように水のない橋に様変わりしたものもあれば、建造物としての橋は消滅したが名前だけ残っているもの(例えば九人橋)もある。また、あるはずのない場所に不意に橋の欄干を見つけ、そこでようやく足下を流れる水の存在に気づくということも珍しくない。
橋の数だけ来世への道が開けているのだと考えると、橋を一本渡るにしても、何やら期待してしまうのは私だけだろうか。昔の人も似たようなことを考えたに違いない。金沢には橋にまつわる、こんな願掛けが伝えられている。
七つ橋渡り。お彼岸の中日の深夜に、浅野川に架かる七つの橋を上流から渡っていくと願いが叶うという風習である。
橋は常盤橋から順に、天神橋、梅ノ橋、浅野川大橋、中の橋、小橋、昌永橋(または彦三大橋)と進み、これらを珍妙な条件を自らに課しながら渡ることになる――
(1)新しい白の下着を身につける。
(2)渡り始めと終わりに一礼する。
(3)ひたすら願い事を念じながら歩き、同じ道は二度通らない。
(4)喋らず、後ろを振り返らない。
(5)使った下着は洗い、名前と生年月日を書き入れ、和紙に包んでから水引をかけ、タンスにしまう。
婦人病や下の病気予防に花街の女性たちが始めたのが事の起こりともいわれるが、全国各地で見られた風習だとする説もあり、三島由紀夫の短篇小説『橋づくし』にも登場する。しかし、いまだに民間に根づいているのは金沢だけのようである。