第1回
正直に言うが、石川県山中温泉に在る『かよう亭』に泊まることは、私の長年の夢であった。これまでにそのような機会が全くなかったわけではない。金沢の医王山の山裾にある拙宅からでも車なら二時間ほどの距離である。にも拘わらず、これまでに一度たりとも縁がなかったのは、敷居が高いというよりも、やはりどこかしら逡巡するものがあったからである。
ファミリーレストランやコンビニエンスストアならともかく、ほんとうにいい店、いい物というのは、客を区別する。誰に買ってもらってもいい、誰が利用してもいいというようなことでは、しっかりとしたサービスはできない。たしかに、金さえ支払えば、誰でも『かよう亭』を利用することはできるが、しかし、誰でもが『かよう亭』を満喫できるわけではない。『かよう亭』と量りあえるだけのものが果たして私にあるのや否や。それが私を逡巡させていた大きな理由である。
昔のことである。
母に初めてガールフレンドを紹介したところ、一言のもとに「およしなさい」と言われたことがある。
「彼女はなかなか素晴らしい女性です。若いに似ず、私から見てもとても魅力的です。でも、あなたには釣合わない。今のあなたは、ほんの子供。十点満点でいうと、せいぜい二点しか差し上げられません。彼女は八点くらいでしょう。彼女と付合うのは、あなたが八点になってからにしなさい」
そのときは、分からなかった。なにしろ私が十五歳の頃のことである。ただ反撥し、ついには家出までしたが、いまになって、ようく理解できる。母は、彼女との交際を反対したのではない。向上心を持てと教えてくれたのである。同様に母に教えられたことで、いまも印象に残っているのは、「貧乏を恐れることは恥ずかしい。しかし、もっと恥ずかしいのは、贅沢に怖気づき、平常心を失うことだ」という言葉だ。つまり、どのような状況に置かれても、ごくふつうに、堂々としていられる人間でありなさいという謂いであったのであろう。
『かよう亭』には、北陸自動車道で片山津インターを下りて行く方法もあるが、金沢からだと、加賀産業道路を経由し、粟津温泉を抜けていくほうが近い。宿のすぐ傍らに新しくトンネルが開通したため、その方法だと、まさにトンネルを抜けると、そこは『かよう亭』であったという按配で、ちょっとした驚きがあるのである。
かつてはどこの温泉地にもあるような鉄骨の大規模温泉旅館だったものをたたみ、三年間もの休業を経て、現在のかたちに変えたのは、主である上口昌徳氏の「自分が泊まりたくなる宿を拵えたい」という強いおもいからである。
実際、高度経済成長とバブル経済を経た日本の温泉旅館の堕落は凄まじいもので、美意識が多少ともあれば、とうてい二度とは泊まりたくない代物ばかりである。
ひと部屋に五人、六人、多いときには八人も詰込み、なんの特色もない冷えた料理を満艦飾にずらりと並べ、朝もおちおちと寝かせてはくれない。そのくせ料金は不当に高いばかりか、きわめて不明朗、不明確で、せっかくの温泉だというのに、ゆったりと寛げるどころか、帰る頃にはむしろぐったりと疲れてしまう。客の側に立ったサービスはそっちのけで、経営効率一辺倒であることがあからさまな、みてくれだけ豪華な旅館がいかに幅をきかすようになったかについては、いちいちの例をあげなくとも、おわかりであろう。
それだけに、一万坪の敷地に僅か十室しか設けないという『かよう亭』の、当時の風潮に逆行する生き方は、大きな決断を要したに違いないと思えるのだが、主も、そして女主人もいかにも駘蕩としていて、やわらかく微笑うばかりである。
むしろ、最近になって、不景気もあってか、にわかに、かよう亭風を真似るところが増えてきた。それはそれでいい傾向なのだとしても、うわべだけの真似で、心底客をもてなすという気持ちがうかがえない。「内心苦々しく思っておられるのではありませんか」と問いかけても、やがては代を継がれるであろう長女の夫である竹内秀次郎支配人も、やはり、黙って笑っておられるだけである。
「わたくしどもは、お客様との一期一会の出会いを大切に、いかにして、かよう亭での時間と空間で安息していただけるか、そればかりを考えています」
字句にするときれいごとにすぎるようだが、実際に『かよう亭』のきざはしに一歩足を進めると、そのことにかける『かよう亭』のおもいがたちどころに伝わってくるのである。
案内されたのは「東山」という部屋である。廊下には特製の畳が敷き詰められていて、スリッパというものはない。ゆったりとした敷地にゆったりと建てられているため、他に客が居ることをまったくうかがわせない静けさである。
部屋も、これみよがしの華美さはみじんもなく、ジョージ・ナカシマ氏がデザインした座卓と椅子がさりげなく置かれ、床の間には勅使河原宏氏の掛け軸が掛けられている。
窓の外は、『かよう亭』の地所である姿の美しい小山がすぐ間近まで迫り、その下をひとすじの川が流れている。
なにもかもが抑制されている。
抑制には勇気がいる。あるいは知性といってもいいが、『かよう亭』にはその隅々に至るまで、いわば、〈抑制の知性〉とでもいえるものがあった。
つまり、山であれ、川であれ、木々であれ、それらは幾年もただそこにあるだけで、意味はない。あたりまえといえばあたりまえのことだが、『かよう亭』の凄さは、そのことをきちんととらまえたうえで、宿のつくりが成されていることだ。
さて、料理である。
『かよう亭』の楽しみは、こだわりの料理をいただけることにもある。
部屋に運んでもらうこともできるが、料理場のすぐ側にしつらえられた食事処でいただくのが無論正しい。
この夜の献立を詳しく記すことはしない。評判はつとに聞いていたが、いい意味で裏切られた。もっと洗練された華麗な京会席を想像していたのである。
ちがった。
繊細ではあるが、野趣あふれる繊細さといおうか。あくまでも素材の美味しさをひきたたせるため、その技法はきわめて控えめに抑えられ、日本料理のひとつの到達点が如実に伝わってくる料理であった。
とりわけ椀には一驚した。
ひとくちめ、味などまるでないのである。ふたくちめ、花びら餅に包まれた椀だねをいただくと、たったいま、山から採ってきたばかりと思える牛蒡の素朴な味わいが口中にすうっと広がる。みくちめ、実に精妙なだしの味がさりげなく、ひたひたと喉をうるおし、それはそれは見事な出来映えの椀であった。
酒は、地酒である『獅子の里 純米吟醸 旬』を飲んだ。これもまた、さらりとした辛口のいい酒で、料理にもよく合った。
風呂は、三方が大きな窓ガラスになっていて、山と川が手元まで迫っている。湯はほとんど癖がなく、なめらかで透明感にあふれている。
山中節が流れているというありがちなこともなく、ただ、静かである。
湯槽のふちに腰をおろし、足先だけを暖める。そうやって二十分もしていると、全身に心地のよい汗がふきだしてくる。
なにも考えなかった。
たとえ取材ではあっても、ひとりになると、たいていは埒もないことを考えて、不吉な夢を見ることが多いのだが、久しぶりに、朝の目覚めが楽しみな、ふんわりと、あたたかな夜であった。
筆者プロフィール
林俊介
編集者を経て、各種雑誌・新聞にコラム、エッセイを連載。
元TOKIO STYLE編集長。「ホテルに泊まるといふこと」など著書多数。
かよう亭
- 石川県加賀市山中温泉東町1丁目ホ20
- TEL 0761-78-1410
- FAX 0761-78-1121
- http://www.kayotei.jp
- 客室数
- 和室10室
- 宿泊料金
- 平日1名様37,000円より(2名様1室ご利用時) 連休、年末年始、お盆は特別料金
(1泊2食付、税別、サービス料込・入湯税別) - チェックイン/アウト
- 12:00/12:00
- 駐車場
- 15台
- 施設
- バー、ラウンジ、宴会場3室、売店
- 風呂
- 大浴場2(男1、女1)
- 交通
- 北陸自動車道加賀インターもしくは片山津インターより車で20分、
JR加賀温泉駅より車で15分 - その他
- 食事のみの利用(入浴付)も可。11:00~15:00は12,000円(税別)より、
17:00~21:00は25,000円より(税別、サービス料込)
※アロマセラピーをふくめたリフレッシュプランもあり。