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金澤料理人百選

金沢市在住のエッセイスト正岡順と月刊金澤編集長が綴る金沢の料理人の横顔をその料理と共に描くエッセイ。

東京で修業を積んだ実兄の店を手伝ううちに、寿司の魅力に取り付かれたという高谷氏。「お客様に育てていただき、できたもの」と謙遜するが、探究心と日々研鑚を重ねる姿は寿司職人の間でも評判だ。
2018年3月、ご逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

著者:正岡順(2002年6月筆) 写真:水野直樹、三津 努、黒川博司

 日本人は愚かしい。
 かつては、「一億総貧乏」と言っていた。それが高度経済成長という時代を経て「一億総中流」に出世したと思ったら、なんのことはない、いまや「一億総元気なし」状態である。
 成熟というのは、「差」のあることを知ることである。容貌が人それぞれであるように、常識も価値観も、人生に対する向かい合い方も、百人いれば百通りあるのがフツウである。
 事実、いわゆる先進国といわれる欧米諸国では、「クラス」というものが厳然としてあり、居住区はもとより、学校、美容院、ホテル、乗用車、劇場の座席、レストラン、マーケットなど、利用するすべてのものがクラスによって異なる。差異が競争を生み、競争が活力を生む。つまり、差異のあることこそが、健全な社会の証しともいえる。
 ひるがえって、日本である。ひとつの例をあげれば、日本では、医師は宣伝をしてはいけないことになっている。それがために、誰が「いい医者」で、誰が「下手な医者」であるかということが情報としてまったく伝わってこない。本来であれば、いい医者には高い報酬を支払い、そうでもない医者にはそれなりの報酬しか支払わないというルールがあってしかるべきなのに、である。こういったところに、この国の正しく競争することを恐れる社会としての歪みが如実にあらわれている。
 さて、寿司屋である。
 凡百の寿司屋はいざしらず、銀座の『次郎』をはじめとして、一流の寿司屋は、客を見て商売をしている。また、そのことがあたりまえに出来なければ、一流の寿司屋とはいえない。
 金沢で、一流といってよい寿司屋はほんの数軒しかないが、金沢市郊外の辺鄙な場所に、ごく目立たないたたずまいで店を構える『太平寿し』は、なかでも極上の一軒であるといってよい。
 店の主人である高谷さんは言う。
「客が私たちを選ぶ、これは当然のことです。難しいのは、私たちもまた客を選ばなければならないということです。寿司さえ出していれば寿司屋かというと、決してそうじゃないように、金さえ払えば客ということじゃないんです。生意気を申し上げるようですが、客と店は五分と五分、その根底にお互いに対する尊敬心というものがないと、とてもではないですが、長くおつきあいしていけるものではありません。狎れない、こびない、えらぶらない。この点になによりも気をつけて、寿司を握らさせていただいております」
 高谷さんの仕事は、実に繊細である。加えて研究熱心である。とかく研究熱心というと、本業から離れ、寿司屋であるにもかかわらず、やれ天婦羅だの、やれ鍋物だのと、いわゆる寿司割烹に流されてしまう幣に陥る店が多い中で、高谷さんの研究はあくまでも寿司そのものの味を追求してやまない。そこから生まれたのが、「穴子の蒸し寿し」と「のど黒の蒸し寿し」、それに「鯖の棒寿し」という逸品である。なによりも味わいに奥行きのあるところがいい。端然としていて、豊か。単純でいて、深い。ただの工夫ではない、寿司というものの可能性を見事にあらわしたという点で、この三品はぜひともいただきたい。
「客との勝負というほど、気構えてはいません。もうちょっと自然体と申しますか、むしろ気構えを見せないようにしながら、すうっと抜けたところで、おいしい時間を過ごしていただきたいというのが、お金をいただく側のほんとうの気持ちです。それには、もっともっと勉強をしませんと」
 にこやかで、仕事中も決して笑みを絶やさないが、その表情には、寿司職人的ないちずさよりも、すぐれた料理人に固有の、柔軟なひたむきさといったものが強くうかがえるのであった。

筆者プロフィール

正岡順

エッセイスト。金沢市在住。料理、温泉、ホテルなどについて一家言あり。

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