食うに困らない仕事を、と料理の道を選び、以来40数年板場に立ち続ける。「半分の人に満足していただければ、満足」と、控えめに語るが自身の料理に真剣に向き合ってこその弁である。
浅野川大橋のほんのたもと、主計町のとば口に、さりげなく店を構えて3年余になる。以前は十三間町にあり、そこで17年、地道に、しっかりと商いを続けてきたおかげで、日本料理『いけの』の評判は、食通の間でもつとに大きくなった。
凝ったことはしない。
いやいや、凝ったことをしたようには、見せない。さりげなく、ごくあたりまえのたたずまいに、料理の気持のすべてをこめる、そこが、池野明寛のすごさ、だ。
京都、大阪で下修業をし、その後、『つる幸』で2年、『銭屋』で8年、揉みに揉まれて、32歳のときに、埼玉出身のしっかり者の内儀を得て、ようやっと独立をした。
酒は飲まない。遊びもさほどにはしない。他の料理屋に食べに行くこともしない。
見た目のやわらかな物腰とはうらはらに、ともかく、一徹なのである。
自分の料理。そこに道がある、そう決めている。
たとえば、まんじゅう。
秋は栗、冬は百合根を裏ごしにしてエビを具にする。これを銀あんとわさびでいただく。
ふうわりとして、あたたかく、胃とお腹がたちまちにしあわせになる、極上の一品である。
料理は、おまかせ。
客の顔を見ながら、あれをつくり、これをこしらえる。そのタイミングの良さ、その盛り付けの美しさに、いよいよ箸が進む。
松の一枚板のカウンターに向かって座り、池野明寛の、やや、せかせかとした動きを目で楽しみながら、よく冷やした酒を飲んでいるときの、ちょっとした間が実に愉快だ。やがて、体の奥で、酒と料理が渾然一体となり、芯の芯からぬくたまってくる、その心地良さがたまらない。
金沢は日本料理とおもわれている。
たしかに、名店は多い。
しかし、それだけに、ひとつの店を評判を落とさずに続けていくことは難しい。
なにしろ、針千本持っとるげ、の町である。旧い町はどこもそうだろうが、ちょっとした失敗でも、たちまちに、うしろから針千本で突っついて、その名を落とそうとする手合いがごまんといる。
そうしたなかで、内儀とたったふたり、20年も暖簾を守ってこられたのには、やはり、生来の一徹がものをいっている。
「うちなんか、せいぜいこんなものでしょう。たいしたことはなんも出来ないんですよ」。
そう言うが、せいぜいも、こんなものも、池野明寛が言うと、字句どおりには受け取れない。
ちらりちらりと笑うその表情の底に、ひとつこの客をぎゃふんと言わせてやれという、料理人らしからぬ稚気がのぞいて見えて、そこがまた、『いけの』を訪ねる客の愉しみのひとつなのである。
筆者プロフィール
正岡順
エッセイスト。金沢市在住。料理、温泉、ホテルなどについて一家言あり。
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