【農援ラボ|蛍の里 おおた農場】蛍の舞う田んぼが証明する、自然との共生を実現する米作り
2024年10月11日(金) | テーマ/エトセトラ
一級河川・手取川を擁し、市全域が日本ジオパークに認定されている石川県白山市。白山比咩(しらやまひめ)神社の鎮座する鶴来(つるぎ)地区からさらに山間部に入り、手取川の支流・大日(だいにち)川に沿って広がる渡津集落に、目指すおおた農場はあった。
「今年はもう終わってしまったんですよ。ええ、また来年お願いします」
受話器を置いた大田豊さんは、「蛍鑑賞の問い合わせですよ」とこちらに目配せした。先ほど受け取った名刺を改めて見返すと、「渡津蛍保存会 会長」の肩書。おおた農場は、どうやら蛍に関する窓口も兼ねているようだ。
大田さんと蛍の出合いは2003年にさかのぼる。イノシシによる被害を警戒し、珍しく夜中の圃場巡回を行ったときのこと。自身の田んぼに到着した大田さんは、水面がチカチカと光っていることに気がついた。「星が映り込んでいるのやろか」。ライトの明かりを消すと、そこにあったのは星の瞬きではなく、100匹にもなろうかという蛍の群れだった。
「蛍を見たのは子どものとき以来だった」と大田さん。それは環境にやさしい米作りを掲げ、8 年の歳月が経ったある夜の出来事だった。
大田さんが就農したのは1990年のこと。兼業農家だった父親から70aの水稲の圃場を引き継いだことが、その後の人生を決定づけた。
鉄工関係の職を辞して臨んだ就農1年目、大田さんは米作りの厳しさを身をもって知ることになる。慣行栽培と呼ばれる一般的なやり方で水稲を育て、収穫した米をJAに納めた大田さんの手元に残った利益はわずか60万円。「これではやっていけない」と、大田さんはすぐさま鉄工の内職を始めたという。
しかし大田さんの試練は続く。4年間続けた内職は不景気で仕事が減り、その一方で地域の離農者から管理を託された圃場は増えるばかり。除草すら手が回らないという苦境の中で一縷(いちる)の望みを託したのが、農薬や化学肥料の使用を減らした、環境にやさしい「エコ栽培米」だった。
折しも全国的に道の駅の設置が進み、そこで販売される産地直送の有機農産物が、「食の安心・安全」を求める消費者の潜在需要を喚起した時代。1995年から始まった大田さんのエコ栽培米の取り組みもまた、そのような社会情勢の変化が一因にあったといえるだろう。
おおた農場の看板米は、農薬化学肥料不使用の「鳥越渡津蛍米」と、農薬化学肥料70%減の「鳥越渡津米」。いずれも2011年の米・食味分析鑑定コンクール国際大会で特別優秀賞を受賞したことをきっかけに、ブランド米として商標登録したものだ。
「手間のかかる特別栽培米を作り、商売していくには普通の価格ではとてもやっていけない。例えば蛍米であれば1kg1000円の単価が採算ライン。ただし高値で売るためには相応の付加価値がなくちゃいかん。そのためにはコンクールに入賞して、公に認められることが大事だったんよ」
美味しい米をいかにして作るか、それは簡単なようで難しい。大田さんは全国のトップ農家を訪ねて栽培法を学び、さらには資格を取ってコンクールの審査員までも務めた。それもすべてはノウハウを研究し、入賞を勝ち取るため。そして3〜4年に渡る挑戦の末、その努力はようやく報われたのであった。
現在のおおた農場では息子さんが代表を務め、親子で渡津集落の稲作を担い、守っている。23haの農地のうち、10haを環境保全の圃場として利用しているが、将来的にはこの面積を倍にしたいと大田さんは語る。
「蛍は自然環境のバロメーターと言われているけど、わしに言わせれば蛍は我々に警告しているんやわ。経済を優先して自然の命がなくなるような社会は、お前らの命も守ってはくれないぞと。生物多様性を守ることは、人間の命を、人間社会を守るということ。それを社会がもう少し理解してほしいかな」
大田さんは国の動きにも期待を寄せる。環境負荷の軽減を含めた持続可能な食料システムを構築すべく、農林水産省が「みどりの食料システム戦略」というプランを2021年に策定・推進しているのだ。おおた農場のこれまでの取り組みに着目した農水省の担当者が、直接取材に訪れたこともあるという。
「蛍の光には、なんとも言えんやさしさがあるんやわ」
「蛍の里」と刻まれた標柱が立つ田んぼを前にして、大田さんは表情を緩ませる。かつては玄関を開ければ蛍が入り込んでくるような場所だったという渡津集落。おおた農場に舞い降りた蛍の群れは、物言わず私たちにあるべき未来を問いかける。
■蛍の里 おおた農場
住所/石川県白山市渡津町ロ106
電話番号/076-254-2198
公式サイト https://otanojo.weebly.com/