能登のころ柿
2014年12月18日(木) | テーマ/金沢の雑学

昨年、ユネスコの無形文化遺産に登録された「和食」。その対象が「和食そのもの」ではなく「食に関する社会的習慣としての和食」にあることを知り、得心した記憶があります。例えば、おせち料理。少しややこしい話ですが、ユネスコが登録したのは「おせち料理」ではなく「お正月におせちという特別な料理を食べる習わし」だったんですね。同じように無形文化遺産に登録されているフランス料理も、メキシコ料理も、地中海料理も、その料理自体が登録されたのではなく、その食をめぐる文化が登録されているのだそうです。
そんな文化としての食で、忘れてならないのが「郷土食」です。現在のように流通が発達していなかった時代、限られた食材を最大限に活かそうと、その土地土地の気候や風土に合わせて考えられた食品は、まさしく先人たちの創意と工夫そのもの。石川県にも「郷土食」と呼ばれるものが沢山ありますが、今回ご紹介したいのが、能登半島の中ほどに位置する志賀町特産の「ころ柿」です。
この「ころ柿」、いわゆる「干し柿」のことですが、能登の「ころ柿」の場合、その材料として95%を占めているのが「最勝」という渋柿。その渋柿を、ひとつ一つ丁寧に、皮をむき、糸をくくり、乾燥させ、手もみすることで、やわらかく上品な甘さをもったころ柿に仕上げていきます。渋いからといって破棄するのではなく、干すことによって糖度を上げ、食材が少なくなる冬の保存食に。干し柿の甘みは甘柿の約4倍にもなり、水分が抜けることで食物繊維の含有率が高まり、コレステロールを吸収して排出してもくれるんだとか。昔ながらの天然の保存健康食品。こうした知恵こそ、まさに文化だよなぁと思うのです。
山里に点在する集落の家々に橙色の柿の実が干されるのは11月頃。晩秋から初冬にかけての静寂な山里と同化する風景には、なんともいえない郷愁と美しさがあります。今年の出荷もすでに終盤にかかっていますが、お正月の贈答品に購入して、大切な方たちと、そんな風景を思い浮かべながら食してみてはいかがでしょうか。
有名な観光名所もいいのですが、県外の方で、もし能登に行かれる機会があって、お時間があるのであれば、ぜひレンタカーを借りて、目的地を決めず、旧道をゆっくりドライブされることをおすすめします。今の日本に失われつつある、こんな気候・風土・歴史に根ざした文化が、まだまだ沢山、色濃く残っていますので。
写真提供:石川県観光連盟
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